よしずやの歴史

よしずやの原点

関根良男

現在では、コンビニエンスストアを経営している株式会社よしずやの歴史は古い。
太田道灌の家臣として代々仕えていた。天保十年七月二十二日、関根彌八が亡くなってから、次の関根彌七が綾瀬川にかかる一の橋のたもとで、綾瀬川を利用した荷の上げ下ろしの管理を行いながら、通行人の休憩の場として食事や酒を提供していた。また、よしずを編んで繁盛し、庭先の藤は通行人の目をひいていたという。

当時の船の鑑札

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鑑札 鑑札 鑑札 鑑札

綾なる流れに藤の花香う 吾生涯に悔いはなし

近藤勇が見た藤

この句は近藤勇が板橋に向かう途中よしずやに立ち寄り、庭先に咲く藤に心を打たれ詠みました。綾瀬川の綾に、自分の人生の綾をかけたともいわれています。

関根家では「近藤勇が見た藤」を誇りとし、代々大切に伝えられてきました。

その後、河川改修で川幅を広げることになり、藤は平成3年に出羽公園(越谷市七佐町)に移植されました。

弁天の藤 弁天の藤の案内

写真で見るよしずやの歩み

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なまずの天ぷらを始めた当時のよしずや

行商が鳩ヶ谷の市からの帰り際、朝荷車を押してあげたことに感謝をして、よしずやに必ず寄ってくれて休むようになり、食事やお酒も振る舞うようになっていった。

その後、なまずの天ぷらを始めるようになり、毎日店の中はお客様でいっぱいになった。白黒のゼネラルのテレビを購入したときは、珍しさもあり、相撲やプロレスを見にくるお客様と、なまずの天ぷらを食べるお客様で、寝るところも占領されるようだったという。

これがよしずやの原点である。

よしずや初代から七代目まで

セブンイレブン越谷一の橋店創設へ

セブンイレブン越谷一の橋店創設当時の外観

そんな中、綾瀬川の川が汚染され始め、なまずが取れなくなり、酒中心の販売となっていた。その頃、大手スーパーが台頭してきたため、売上が伸び悩んでいた。

6代目の関根弘良はどうにか現状を打破したいと考え、当時「コンビニエンスストア」という言葉自体浸透していない中、1981年にセブンイレブンを立ち上げた。当初は、周囲から猛反発にあい、銀行や税務署、財務局に対しても「コンビニエンスストア」や「フランチャイズ」、「チェーン店」について説明に追われた。

周囲からは「よしずやはコンビニに乗っ取られたのではないか」との噂が絶えなかった。さらにオープン日は妻の3人目の臨月と重なり、子供が無事に生まれた4日後に妻はレジに立って店を切り盛りしていた。

地域への思い

現在のセブンイレブン

セブンイレブンを始めてから28年経つが、「常にお客様の目線に立って物事を考えないと、お客様は離れてしまう」と関根氏は言う。

100年以上、先祖代々築いてきた地域とのかかわりを大事にし、今では、様々な組合活動や社会奉仕活動などを積極的に行っている。地域活性化が関根氏の目指すところだ。

よしずや関連

セブンイレブン越谷一の橋店セブンイレブン榛松店
セブンイレブン東川口店セブンイレブン安行出羽店
セブンイレブン浦和原山店セブンイレブン北越谷西口店
セブンイレブン東川口駅南口店
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